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2026.09.14

日本の酢は、どう食卓に根づいたか?私市醸造に聞く100年に及ぶ酢とのかかわり

すし、酢の物、なます。日本の食卓に根づく酢は、どこから来たのでしょう。千葉県鎌ケ谷市で100年以上酢をつくる私市(きさいち)醸造に、そのルーツと受け継ぐ技術を伺いました。

目次

  • 酢は、いつから日本の食卓にある?
  • お酒を届けるなかで、酢の大きな需要に気づいた
  • 木桶の表面だけで、ゆっくり発酵する
  • 約1日で仕上げる技術も、1968年から
  • 「淡麗で芳醇」を目指し、素材の良さをそのまま引き出す
  • 酸味から、食の世界を広げる
  • まとめ

プロフィール

私市醸造株式会社 代表取締役社長の私市さん

私市醸造株式会社 代表取締役社長 私市一康さん

1960年鎌ケ谷市生まれ、大学卒業後ハインツ日本株式会社へ入社、新製品開発部所属。
1993年私市醸造(株)へ入社。製造と開発を担当し、2003年社長就任。
理念を軸に据えた経営スタイルが信条。

私市醸造株式会社 R&D推進室 開発ユニットの伊藤さん

私市醸造株式会社 伊藤さん

1972年千葉県生まれ、2007年私市醸造(株)入社。
研究開発を担当。

私市醸造株式会社 営業部 法人・団体担当マネージャーの野口さん

私市醸造株式会社 野口さん

1975年東京生まれ、2007年私市醸造(株)入社。

配送業務、営業部を担当。

酢は、いつから日本の食卓にある?

さっぱりとした酢の物、魚を使ったなます、すし。日本の食文化を見渡すと、酢は味を調えるだけでなく、食材をおいしく食べ、保存する知恵として受け継がれてきたことがわかります。

日本に酢が伝わったのは4〜5世紀ごろとされ、調味料として庶民に広まったのは江戸時代です※1。酸味で味を整えるだけでなく、細菌の増殖を抑える働きもある酢は、冷蔵設備のなかった時代から、食材をおいしく食べるための工夫に生かされてきました。

江戸時代に庶民へ広がった酢は、その後もすし店に欠かせない調味料として使われていきます。大正11年(1922年)、東京・阿佐ヶ谷で酒屋を営んでいた私市醸造の初代も、寿司店へ酒を卸すなかで、酢の大きな需要に気づきました。ここから、私市醸造と酢の歩みが始まります。

※1 参考:農林水産省「夏こそお酢!お酢の歴史と種類」

お酒を届けるなかで、酢の大きな需要に気づいた

私市醸造の始まりは、大正11年(1922年)。初代が東京で営んでいた酒屋にさかのぼります。酒を仕入れてすし店へ卸すなかで、あることに気づきました。

私市さん: おすし屋さんが使うお酢の量って、半端じゃないんです。そこで、お酢の販売に特化したんですね。おすし屋さんとのつながりは、そこから始まっています。

当初は、酢を自社で造っていたわけではありません。戦後、鎌ケ谷へ移り住んで商売を再開。仕入れた酢をオート三輪に載せ、東京まで届けていたといいます。

酢の供給を受けていたのは、千葉県長生郡の鵜澤酢店から。明治時代に創業し、酒粕を原料に木桶で酢を造っていた醸造所です。酒粕を熟成させて造る赤酢は、江戸前ずしの味を支えてきた酢でもあります。

私市さん: 鵜沢酢店さんのお酢は、とてもおすしに合うんです。

昭和30年代に入ると、私市商店から私市醸造として酢の醸造を開始。1960年には杉の大桶を使う発酵工場を新設し、やがて製造から販売までを自社で手がけるようになりました。

酒屋から酢の販売へ、そして自らの手による酢づくりへ。私市醸造の100年を超える歩みは、すし店とのつながりを絶やさず、赤酢をはじめ、料理のつくり手が求める味に応え続けてきた時間でもあります。

お酢を仕込んでいる木樽

木桶の表面だけで、ゆっくり発酵する

酢づくりには、大きく分けて「表面発酵法」と「通気発酵法」があります。昔ながらの表面発酵法では、木桶に酢酸菌を浮かべ、液の表面で発酵させます。なぜ表面だけなのか。開発を担当する伊藤さんが教えてくれました。

伊藤さん:酢酸菌は、わたしたちと同じで空気を吸わないと生きられません。だから、液の表面でしか増殖できないんです。アルコールを食べて酢酸を出すと、下にあるアルコールがまた上がってくる。そのゆっくりした循環で発酵が進みます。

編集部:今の時代から見ると、少し効率が悪い方法なのでしょうか。

伊藤さん:発酵に時間がかかり、正直「効率の悪い発酵方法」ではあります。それが1つの特長でもあり、難しさでもあります。

昔ながらの表面発酵法の仕込みをする木桶
昔ながらの表面発酵法の仕込みをする木桶
「通気発酵法」の仕込み設備
「通気発酵法」の仕込み設備

約1日で仕上げる技術も、1968年から

通気発酵法仕込みができる設備と私市さん
通気発酵法仕込みができる設備と私市さん

もう1つの通気発酵法は、液の中へ空気を送り込み、全体で発酵を進める方法です。私市醸造は1968年、ドイツから導入された装置を取り入れました。

伊藤さん:液全体に空気を吹き込むと、酢酸菌は呼吸をしながら発酵できます。表面発酵では酸度5〜6%ほどのものが、通気発酵では酸度10%ほどになり、ほぼ24時間でできあがります。

発酵途中の酢。細かな泡から、発酵が進んでいる様子が見て取れます

当時、日本の食卓にはマヨネーズやケチャップなどの洋食が広がり、加工用には酸度の高い酢が求められるようになりました。農作物を原料にした醸造酢でその需要に応えられる通気発酵法は、酢の業界にとって大きな転換だったと私市さんはいいます。江戸の寿司文化とともに広がった酢は、今度は洋食の普及に合わせて、つくり方を変えていったのです。

「淡麗で芳醇」を目指し、素材の良さをそのまま引き出す

新しい技術を取り入れながらも、木桶の酢をやめなかったのはなぜでしょうか。

伊藤さん:江戸前すしを構成する1つが、木桶でつくられたお酢です。江戸時代から連綿と続いてきた木桶づくりのお酢を、過去から未来へ、これからもずっとつくり続けていく。そこは、わたしたちが大切にしていることです。

私市さんが、商品づくりの根にある考えも話してくれました。

私市さん:素材が持っているものを、そのまま引き出すことが基本です。余計なものを加えたり、大切なものを引いたりせず、素材そのものの良さをお酢にする。木桶のお酢では、「淡麗で芳醇」を目標につくっています。

私市醸造では、吟醸酒粕を自社工場で3年以上熟成させ、酒粕酢の原料にしています。時間をかけて熟成した酒粕を、木桶でゆっくりと発酵させる。その積み重ねが、すっきりしていながら香りと味に奥行きのある、「淡麗で芳醇」な味わいを支えています。

酒粕酢のほかにも、米酢やりんご酢、ワインビネガーなど、さまざまな酢をつくっています。原料や製法が異なっても、素材が持つ味や香りを生かすという考えは変わりません。

すし店との関係は、創業時だけのものではありません。現在も主な取引先はすし店です。米や魚の状態に合わせて味を組み立てる職人の仕事を、酢づくりで支え続けています。

 

長期間熟成させた酒粕
長期間熟成させた酒粕
木桶の内部、日々の確認と手入れが欠かせません
木桶の内部、日々の確認と手入れが欠かせません

酸味から、食の世界を広げる

私市醸造が目指しているのは、単に酸味のある調味料をつくることではありません。酢の酸味が加わることで、食材の甘みが引き立ち、料理の味わいがより豊かになる。さまざまな味や香りに触れることが、新しいものを食べてみたいという好奇心にもつながっていく。そこには、酢を通して一人ひとりの食の世界を広げたいという思いがあります。

私市醸造が掲げる使命は、「食の世界を広げ、人生の味わいを深める」ことです。木桶による昔ながらの酢づくりを受け継ぐ一方で、通気発酵という技術を取り入れ、新しい調味料の開発にも取り組んできました。守るだけでも、変えるだけでもない。受け継いだ技術を、いまの食卓に合う形へ育てていくことも、私市醸造が考える伝統のつなぎ方です。

和食を支えてきた酢を、これからの食卓へ。私市醸造の酢づくりには、日本の食文化を受け継ぎながら、新しい食体験を生み出そうとする姿勢がありました。

 

工場に並ぶお酢の貯蔵タンク

まとめ

中国から伝わった酢は、日本の米や魚を食べる文化と結びつき、江戸時代には庶民の食卓へ広がりました。近代には洋食の広がりに合わせ、私市醸造も通気発酵という新しい技術を取り入れています。昔ながらの木桶と通気発酵を使い分け、素材が持つ良さを引き出す。その根にあるのは、酢を通して食の世界を広げ、日本の食文化を次の時代へつなごうとする思いです。「食の世界を広げ、人生の味わいを深める」。その使命を胸に、私市醸造はこれからも毎日の料理に寄り添う酢をつくり続けます。次回は、二社の技術が1本のドレッシングになるまでを紹介します。