海に無理をさせない。 天草の車海老を、100年先へつなぐ養殖
熊本#06|深川さんの車海老養殖
【編集部より】2026年7月28日に発生した令和8年熊本地震で被害を受けられたみなさまに、心よりお見舞い申し上げます。熊本で今もものづくりを続けるみなさまへの敬意を込め、取材したことばをお届けします。
素材本来のおいしさを届ける石井食品は、食を通じて地域とともに歩むことを大切にしています。2016年の熊本地震から10年。現地とのご縁を育み、今年は熊本の作り手と特別なおせちをつくりました。私たちが現地で出会った、熊本の食と人の魅力をお届けします。
長洲町の干潟で、失われたあさりと人のにぎわいを取り戻そうとする仕事に続き、私たちは天草市・楠浦湾(くすうらわん)へ向かいました。
池の水は、透き通った青ではなく、少し茶色がかっています。それは、車海老の餌となり、池に酸素を生む珪藻などの植物プランクトンが豊かな証拠。深川さんは、薬品で環境を管理するのではなく、海から汲み上げた水と、その中に生きる微生物の力を借りて車海老を育てています。
「今だけ良ければ」ではなく、同じ海で100年先もつくり続けられるように。生産量を追うより、海に無理をさせないことを選ぶ養殖について伺いました。
目次
- 獲る漁業から、つくる漁業へ
- 天草の豊かさは、山と海のつながりから
- 茶色い水の中で、微生物と育てる
- 増やさないという選択
- 一尾ずつ見極め、届くところまで確かめる
- 赤酒でしっとり。「旨煮」で食卓へ
- まとめ|海を使わせてもらうということ
お話を伺った方

深川 沙央里(ふかがわ さおり)さん
株式会社クリエーションWEB PLANNING 代表取締役
天草の車海老を軸に、養殖・販売・加工・飲食に携わる。生産者が天草で100年後も安心して生産を続けられることを願い、車海老や地域の水産物を全国へ届けている。
獲る漁業から、つくる漁業へ
深川さんの実家は、真鯛やシマアジ、鰤の養殖場でした。それ以前は、大型の巻き網船団を組み、鰯や鯖を獲る網元だったといいます。しかし、魚が獲れない時期を経験し、家業は「獲る漁業」から「つくる漁業」へ。深川さんは、その移り変わりを見ながら育ちました。
水産の仕事が好きでも、当時は女性が携わることが今ほど当たり前ではありませんでした。それでも天草へ戻り、車海老養殖の5代目との出会いがきっかけで、車海老養殖の仕事に就きました。
「海老の養殖ができると思って嫁入りしたんです」と微笑む深川さん。
養殖の現場に入ると、今度は、生産者が価格を決められない構造や、少し傷があるだけで販売しにくくなる食材の問題が見えてきました。そこで約20年前、車海老を直接販売するためのインターネット通販を始めます。
やがて仲間の水産物も扱い、規格に合わない食材を商品に変える加工場、飲食店、そして自らの養殖へと仕事が広がっていきました。
深川さん:生産者がこの天草の地で、100年後も安心して生産活動を続けられますようにという想いで取り組んでいます。
天草の豊かさは、山と海のつながりから
天草は、有明海、不知火海、八代海、東シナ海へとつながる海に囲まれています。海が変われば、微生物も、そこに住む魚も変わります。
深川さん:天草一つの中で、いろいろな魚に出会える。日本の縮図みたいな場所
けれど、海だけを見ていても、この豊かさは語れません。多様な木々が生える山に雨が降り、微生物やミネラルを含んだ水が海へ流れ込む。そこでプランクトンが育ち、小さな車海老の命を支えます。
深川さん:車海老は、山と海が健康につながっていることを示す、環境のバロメーターみたいな存在だと思っています

山を背にした養殖池。楠浦湾から汲み上げた海水を使い、車海老を育てる。
茶色い水の中で、微生物と育てる
養殖池の水が茶色く見えるのは、珪藻という植物プランクトンが多くいるためです。珪藻は光合成によって昼間に酸素を生み、車海老にとって暮らしやすい環境をつくります。池の水を海へ流したとき、小魚が驚くほど集まってきたこともあったそうです。
深川さんたちが守っているのは、一切投薬をしないこと。
化学肥料、ホルモン剤、抗生剤にも頼らず、海水そのものを最大限に活かします。薬品を入れれば、車海老だけでなく、環境をつくる微生物も生きられなくなると考えているからです。
深川さん:微生物は、車海老を育てるパートナーみたいな存在です。

池の水を動かし、酸素を行き渡らせる水車。
増やさないという選択
薬に頼らず育てるため、池に入れる車海老の数も抑えています。病気が広がらない密度を守るので、生産量を簡単に増やすことはできません。深川さんによると、自社では坪あたり約50尾。海外の大量生産の事例では200〜300尾を入れる場合もあるといいます。
たくさん育てれば、短期的には利益を上げられるかもしれません。しかし、病気を抑えるために薬を重ね、やがてその海域そのものが使えなくなった例を知り、深川さんは同じ道を選びませんでした。
明治38年(1905年)の資料が残る天草では、100年以上、同じ漁場を代々受け継ぎながら車海老の養殖が続いています。
近年、特に神経を使うのは夏の水温です。深川さんは、水温35度が3日続いたときに車海老を死なせてしまった経験を語りました。浅い楠浦湾から池へ海水を汲み上げても、水温差は2〜3度ほど。夏は「ギリギリのライン」で池を見守ります。
深川さん:今だけ良ければ、大量生産はできる。でも、この海域を100年以上先の子孫にも引き継ぎたい。そのために、海に無理をさせないことを選んでいます。

養殖池に餌をまく様子。池の状態を見ながら、日々の管理を重ねる。
一尾ずつ見極め、届くところまで確かめる
自然に近い環境で育てるからこそ、出荷時の見極めも欠かせません。健康に育った車海老を一尾ずつ選別し、殻がまだやわらかい脱皮直後の個体は外します。
また、本格出荷の前には、その年の車海老の状態を確かめる保管・配送テストも行います。冬季は、箱詰めした車海老を5日間ほど置き、約95%が生きている状態を一つの目安にします。天草で保管するだけでなく、東京や大阪、兵庫などへ実際に送り、到着時に何尾生きていたかを確認してから出荷を始めます。自然を相手にするため、同じテストを毎年繰り返しています。
梱包には、昔から使われてきたおがくずを基本とし、届け先の気温によっては保温できる資材を使います。「自然と共存してつくる以上、できるだけ土に還る素材で届けたい」。育て方だけでなく、食卓へ届くまでの気配りにも深川さんの考え方が行き渡っています。
赤酒でしっとり。「旨煮」で食卓へ
深川さんが勧める食べ方は、車海老のしゃぶしゃぶです。表面が赤くなる程度にさっと火を通し、塩を添える。半生に近い火入れが、甘みとうまみを引き出すといいます。冬眠を前に栄養を蓄えた冬の車海老は、身が詰まり、パンパンになるそうです。
今回、この車海老は、石井食品の『すごい熊本酒肴箱 ~生産者とともに、一年かけて作り上げた一箱~』の一品「天草の大ぶり車海老の旨煮」になりました。車海老本来の甘みを残すため、熱を極力加えず、熊本の赤酒で上品な甘みとコクを重ねています。
試食した深川さんは、「おいしい。日本酒にも合いそう」と顔をほころばせました。
一方で、「うちの海老はおいしい、とあまり言いたくない」とも話します。
味の感じ方は、一人ひとりが育ってきた食の記憶によって違うからです。だからこそ、言葉で決めつけず、「楽しんでください」「召し上がってみてください」と手渡したいといいます。

「天草の大ぶり車海老の旨煮」盛り付け例
まとめ|海を使わせてもらうということ
前回訪ねた長洲町のあさり漁では、2020年の熊本豪雨後の干潟で、あさりと人のにぎわいを取り戻す仕事に出会いました。天草の車海老養殖で見えたのは、海の中にある微生物の循環を壊さず、同じ場所でつくり続けるための仕事です。
場所も方法も異なりますが、二人の作り手に共通していたのは、海を人の都合だけで変えないこと。目の前の収穫だけではなく、次の季節、その先の世代へと風景を手渡そうとしていました。
深川さん:海を使っている、ではなく、海を使わせてもらっている。その感覚を忘れないようにしています。
一尾の車海老を味わうことは、山から流れる水、池に生きる微生物、毎日の見守り、そして100年以上続いてきた天草の養殖文化に触れることでもあります。熊本の海をめぐる旅は、ここから、海の恵みを味に仕立てる人たちへと続いていきます。

車海老の養殖池を見渡す深川さん。
―次回・熊本シリーズ #07|天草ぶりのつくり手をたずねます
商品情報
『すごい熊本酒肴箱(しゅこうばこ)〜生産者とともに、一年かけて作り上げた一箱〜』
熊本の生産者とともに一年をかけてつくった、2人前の酒肴箱。天草大王、火の本豚、馬肉、天草の車海老、天草ぶり、長洲町のトマト、有明海のあさりなど、熊本各地の食材を使った全9品と熊本県産米(1合)を詰め合わせました。酒肴を楽しんだあとは、「長洲町あさりの贅沢まぜご飯の素(きゃあめし)」で〆まで熊本の食文化を味わえます。全品個別包装、限定200箱です。

「すごい熊本酒肴箱」 盛り付け例